「翼を持たずに生まれてきたのなら、
翼を生やすために
どんなことでもしなさい」
これは、高級ファッションブランド「シャネル」をつくったココ・シャネルの言葉だ。
私が、何かあるごとに開く本「ココ・シャネル 女を磨く言葉」(高野てるみ著、PHP文庫)にある一節である。
久しぶりにこの本を開いたのには、理由があった。6月は、近年にないほどたくさんの仕事のご依頼をいただいたにもかかわらず、そのうちの3本が中止になった。
いずれも、ゴーストライターとしてのご依頼で、著者さんから取材をし、本にするための原稿をまとめる仕事だったのだが、2本は著者さんの都合で、そしてもう1本は出版社の編集担当の都合で、中止になったのである。
これまでも、いただいたご依頼が頓挫したり、延期になることはあるにはあったが、1か月間に3本も中止になると、さすがに「何かある」と思えてくる。こちらは、出版社さんからご依頼を受ける、いわば「下請け」のような立場だから、詳細は存じ上げないし、知ったとしても、ネットのような場で公開する立場ではない。
原因が何であれ、予定していた仕事がなくなるということは、フリーランスの私にとって、死活問題である。普段なら「中止になったものは仕方がない。次の仕事を探そう」と、沖縄の「なんくるないさ」=なんとかなるさの精神でいるのだが、今回ばかりは、少し深刻に考えることにした。
そして、考えた結論からいうと「いつまでも下請けのままではいられない」ということだ。
ゴーストライターというのは、原稿執筆を代行する仕事である。本1冊分の原稿の文字数は、少なくとも5万字程度はある。これを一から素人が書くのは、ものすごく大変なことなので、私のようなゴーストライターが出版社からご依頼をいただいて、著者さんから話を聞き、聞いた内容を文章にするのだ。
文章にするといっても、著者さんが仰ったことを、そのまま書き起こせば文章になるわけではない。人が話をしている時には、話す内容の時代が前後したり、一気に場面が変わったりするため、それを読者が読んでわかるように構成するのも、私の役目だ。
文章を書くのは私でも、その内容は著者さんの頭の中から引き出したことなので、当然のことながら、本の著者名はその方の名前になる。私の名前はたいてい「編集協力」というところに掲載されることが多く、名前が全く載らないこともある。
名前が載ろうが載るまいが、ゴーストライターの仕事は私にとって、とても大事な収入源だ。でも、その大事な収入源が、何らかの理由で急になくなってしまうことを、6月に痛いほど思い知らされた。
そして、久しぶりに読んだココ・シャネルの言葉から、勇気とヒントをもらった。
今の私にとって「翼」はオリジナルのコンテンツである。誰かの言葉や記憶ではなく、自分の言葉を書く。自分の文章を書く。空高く飛べる、大きな翼にするために。