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すごい人より、普通の人

昨夜、7月7日の月。
月の下に「右肩上がりの」雲が見えた。

 

「ピンチはチャンス」とよく言うが、このところ、仕事がうまくいかないこともあって、改めていろんなことを考えている。

 

私は、誰のために何ができるのだろうか。

私の仕事は、何なのだろうか。

 

もともと、原稿を書くようになったのは、テレビ局の報道部に勤務したからだ。テレビ局で働くようになったのは、小さい頃からアナウンサーになりたかったからだ。

 

夢に向かっていた時は、必死だった。

アナウンサーではなかったけれど、テレビ局で働けるようになったのは、夢を叶えたようなものだ。

 

アナウンサーになりたかったのは、テレビで喋るアナウンサーがカッコいいと思ったからだが、実は、カッコいいのはスタジオで原稿を読むアナウンサーよりも、現場で取材をする人たちだと思った。毎日毎日取材で忙しくても、楽しかった。充実していた。

 

東京に出てきて、いろんなことがあって、結局、テレビの仕事は辞めてしまった。一時は書くことも、喋ることも辞めてしまったけれど、東日本大震災を機に、再び書く仕事を始めた。

 

報道部にいた時も、現在のように雑誌の取材やゴーストライターとしての取材をする時も、私は芸能人や有名人ではなく、ごく普通の生活をしている人たちから話を聞くことが多い。そういう人たちから話を聞いて、原稿にするのが、今の私の仕事だ。

 

原稿を書くことを生業としている人たちの中には、いろんな人がいる。作家、小説家、ジャーナリスト…。原稿ではなくて論文だけれど、文章を書くことも仕事という意味では、大学の教授やさまざまな研究者もそうかもしれない。

 

私は、それらのうちのどれになろうとしているんだろうか?

なんだか、どれでもない気がする。今のところは。

 

例えば、写真のような「月」をテーマにする場合、ジャーナリストなら人類が月に行った時のことを書くかもしれないし、研究者なら月そのもののことを書くかもしれない。でも私は、地上から月を眺める人たちと同じ目線のことを書きたい。ごく普通の、生活者の目線で。しかも、客観的に。

 

インターネットやSNSが一般的になり、ごく普通の人たちも情報発信をすることができるようになった。そして、モデルや有名人が登場する広告よりも、インフルエンサーと呼ばれる人たちが発信する情報の方が、消費に影響を与えるようになった。これは、彼らの目線が生活者と同じだからだ。

 

私自身、今はテレビ局で仕事をしているわけではないし、有名人でもない。ごく普通の生活者だ。これからも、月を眺める生活者の視点で書くことを生業とすればいいのだと、七夕の月を見ながら思った。