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取材という平和学習

私が初めて広島を訪れたのは、10年前。当時はイベントの仕事をしていて、広島市内でとあるキャンペーンイベントの運営をすることになった。その出張の合間に、どうしても見ておきたい場所があった。

 

原爆ドームである。

 

修学旅行でおなじみのこの建物を訪れるチャンスは、それまでの私にはなかった。私が通っていた山形の学校では当時、中学の修学旅行は東京、高校の修学旅行は京都と奈良だったし、大人になってからも、大阪よりも西へ行く出張や旅行はほとんどなかったからだ。

 

それでも、人生で一度は必ず原爆ドームを見ておこうと思っていた。それは、私が沖縄に住んでいたからである。沖縄に住んだことがなかったら、ずっと戦中戦後のことには関心を持たないままだったかもしれない。

 

今では学習指導要領が変わったかもしれないが、山形で生まれ育った私には、今でいう「平和学習」をした覚えがない。社会の授業で、ほんの少し学んだ程度だと思う。沖縄、広島、長崎などで生まれ育った人たちには信じられないかもしれない。山形は東京などからの疎開先となっていたくらいだから、比較的大きな被害がなかったのだろう。祖母からも、戦争についての話は聞いたことがない。

 

だから私は、沖縄に移り住むまで、戦争や平和の話題とは無縁だった。大学進学のために沖縄へ行き、6月23日の「沖縄慰霊の日」が近づくと、友人たちは当たり前のように「平和学習」についての話をした。沖縄戦の体験者たちが学校へ来て講演したり、沖縄戦に関する記念館に行ったり、自分たちで調べ学習をしたり…。沖縄の子どもたちは、必ず毎年、戦争と平和について考える時間を持つ。広島や長崎も同じだと思う。

 

大人になって、報道部で仕事をするようになり、私は毎年、慰霊の日が近づくと、沖縄戦の体験者の取材をすることになった。記念館はもちろん、沖縄戦の激戦地といわれるさまざまな場所へも行き、戦争を追体験し、それを映像と文章で伝えた。

 

あの時の、沖縄戦体験者の方々の表情を思い浮かべると、今でも涙が溢れてくる。

 

私は子どもの頃に平和学習をした記憶はないが、たまたま、沖縄という土地に住み、そこで報道の仕事に携わったから、戦争体験者のお話をじっくり聞くという経験を積むことができた。だから今でも、戦争の悲惨さや平和のありがたさを伝え続けることの大切さがわかる。

 

もし、私が出身地である山形や、現在住んでいる東京でずっと仕事をしていたら、戦争に関する取材はしていなかったかもしれない。ひょっとすると、東京で仕事をしていればそういう取材もしたかもしれないが、毎年ではなかっただろう。

 

ライターになった今、ご依頼いただく仕事の中には、自費出版のゴーストライターがある。80代以上の方々の本をお手伝いする場合、どの地域にお住いの方でも、必ず戦中戦後の厳しい時代を、どのように生き延びてきたのかというお話を伺う。そういうお話を伺う度に、それぞれの戦中戦後を書き残しておかなければならないと思う。

 

 

仕事でお会いする編集者や同業者の中には、かつての私のように、戦争や平和の話題とは無縁の人もいる。大人になってからでもいい、取材でもいい、一度は戦中戦後を追体験してほしいと思う。戦後70年以上が経ち、戦争体験者が高齢化する中、体験した本人から直接聞くことは、本当に今しかできないことだから。