もう20年くらい前のことだけれど、私はいわゆる「食レポ」を毎週のようにやっていたことがある。
まだ沖縄のテレビ局で仕事をする前、ほんの少しの期間だけ、私は山形のテレビ局でローカル情報番組のリポーターを務めていた。祭りやイベントなど、楽しい取材が多く、地元グルメも定番だった。
和食、洋食、中華、そして山形はなんといっても「麺王国」である。そば屋さんとラーメン屋さんにも、よく取材に伺った。この写真は当時のものではないが、山形の名物「肉そば」である。
当時は今ほど、グルメ情報番組は多くなかったと思う。「食レポ」なんていう言葉も、まだ一般の方が使う言葉ではなかった。それでも当時から、食べるシーンは欠かせなかった。テレビのリポーターになったとはいえ、まだ未熟だった私は、食レポが下手くそで、よくディレクターやプロデューサーからダメ出しをされた。
中でも、よく覚えているのは、プロデューサーからの指摘である。何を食べた時の映像かは忘れてしまったが、番組の放送後、私の食レポ映像を見たプロデューサーは、私にこう言った。
「料理のおいしそうな見た目と音は、視聴者が映像を見ればわかる。君は、それ以外のことを言葉で伝えなきゃいけないんだよ」
これはつまり、人間の五感のうち、視覚と聴覚は映像で伝わるから、それ以外の味覚、嗅覚、触覚を言葉で補えという意味だ。
例えば、そばの場合なら、盛り付けやそばの色、細さ、だしの色が「見た目」で、ズルズルっとそばを食べるのが「音」だ。これらは私が何もしなくとも、カメラが勝手に捉えてくれる。けれどそれ以外、そばやだしの味や香り、麺の食感はカメラでは撮れないから、私が言葉で伝えなさいというわけである。
この、解説ともいえる指摘に、私はものすごく納得した。それ以来、見た目と音以外のことを言葉にしようと、現場に行っては奮闘した。一時は、考えすぎておいしそうに食べることができなくなり、ディレクターから「考えてるのが顔に出てる」とダメ出しをされた。しゃべる言葉を考えながら、おいしそうに食べるのは、とても難しいのである。
今、グルメ番組が増えて「宝石箱や~」「まいう~」など、それぞれのリポーターさんやタレントさんたちならではの言い回しが知られるようになった。それはそれで、おいしそうだからいいのだけれど、有名タレントさんでもない限りは「どのようにおいしいのか」をきちんと伝えてほしいなぁと、元リポーターとしては思うことがある。