· 

妄想インタビュー その2

このほど、自伝的エッセイ集を発表した、ライターのびんこさん(以下「び」)へのインタビュー第2回。

前回のあらすじ。アナウンサーに憧れ、キャラクターショーのお姉さんのアルバイトを経て、ラジオ番組のADとしてアルバイトをしていたびんこさん。その後、なんとラジオ番組のアシスタント枠に空きができ、学生アシスタントとしてラジオに出演。とんとん拍子に見えたが…。

 

―ラジオ番組のADをしながら、アシスタントとしてお話もしていたとか?

 

び:そうなんですよ。ラジオではちょっと珍しい、短いクイズ番組があって。そのアシスタントとして、クイズを出題したりしていました。自分の声が初めて公共の電波に乗ったので、すごくうれしかったですね。

 

―それは、いつまで続けたんですか?

 

び:大学を卒業するまでやってました。実は私、大学に5年間在籍していたんです。

 

―アルバイトのし過ぎで単位が足りなかったとか?

 

び:いいえ。単位は4年で卒業できるくらいあったんですけど、新卒としての就職活動を2回したかったので、わざと留年しました。当時のアナウンサーの試験って、新卒じゃないと受けられなかったんです。

 

―夢を叶えようとしたわけですね。

 

び:そうですね。当時、私は沖縄に住んでいたんですが、沖縄が大好きで、どうしても沖縄県内の放送局のアナウンサーになりたかったんです。でも、当時の沖縄でアナウンサー採用があったのは、民放が2社とNHKの、合計3社しかなくて…。初めての就職活動の時、一応、九州にある放送局のアナウンサー試験も受けに行ったら、洗礼を受けました。

 

―アナウンサー試験の洗礼ですか?

 

び:アナウンサー試験は、どんなに田舎の放送局でも倍率が100倍くらいになる、とても狭き門なんです。だからアナウンサーを目指す人たちって、日本全国の放送局を受験するんですよ。どんなに交通費がかかろうが、実家から遠かろうが、とにかく自分をアナウンサーとして採用してくれる放送局にめぐり会えるまで、アナウンサー試験を受けまくります。

 

しかも、大学に通いながらアナウンス学校に通っていたという、ダブルスクールの人がほとんど。もう、みんなアナウンサーとしてしっかり訓練されてて、即戦力みたいな人ばっかりでした。私は沖縄の大学からアナウンサーを目指していたので、ダブルスクールがアナウンサーを目指す人の常識だなんて、全然知らなかったんです。

 

―アナウンサーとしての即戦力みたいな人といいますと?

 

び:アナウンサー試験って、実技があるんですけど、原稿の読み方もカメラ目線も、もう全然、素人じゃないんです。きっと、アナウンス学校で教わるんでしょうね。それに、テレビ映えする洋服の色とかもよく知ってて、就職試験なのにベージュとかピンクとか水色のスーツの人がいるんですよ。私は地味なグレーのスーツしか持っていなかったので、逆に浮いてました(笑)。

 

―それで、試験の結果は?

 

び:もちろん、不合格でした。せっかく留年までして新卒の資格を取得したんですけど、2年目の就職活動も全然ダメで…。でも、アナウンサーになることを諦めきれなかった。なまじ、学生の時にアシスタントとしてラジオでしゃべっていたし、その時に出会った方々の中に、正社員のアナウンサー(以下、局アナ)じゃない人もいたんです。契約リポーターとか、沖縄でタレント活動をしている人とか。だから、局アナじゃなくてもいいから、しゃべる仕事がしたいなと。

 

―就職はしなかったんですか?

 

び:しませんでした。幸いにも、引き続きラジオ番組のADのアルバイトができることになったので、アルバイトで食いつなぎながら、フリーランスとして「しゃべる仕事」を探すことにしたんです。

 

局アナにはなれなくても、フリーアナウンサーとして仕事をしようと決心したびんこさん。沖縄という地方のマスコミ業界で、一体どうやって仕事を探したのか?次回へ続く。

 

 

※あくまでも妄想。エッセイ集は未発表。

 

※「ウチからエッセイ出せばいいよ」という出版社の方、このホームページ「お問い合わせ」からご連絡ください。お待ちしております。