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沖縄人じゃないから、書けること

この写真は、以前、沖縄の宮古島を訪れた時のもの。宮古島には、周辺の離島を結ぶ長い橋がいくつかあり、その中のひとつを自転車で駆け抜けている人がいました。

 

おそらく彼は、沖縄人ではないと思います。

 

なぜなら、沖縄の人は、こんなに長い橋を自転車で走ろうなんて思わないから。ましてや彼のように、帽子も被らずに短パンで、日陰のない長い橋を走るなんて、沖縄人はゼッタイにやらないはず。

 

こんな風に(?)沖縄人では考えられないようなことを、内地人ならできることがあります。

 

ところで、先日、とあるライターさんが仰っていた言葉が、ずっと私の心に引っかかっています。それは「沖縄人じゃないから、書けることがある」ということです。

 

その方は、沖縄人が今まで語ってこなかったことを取材して本にまとめた方で、取材の最中に「沖縄人には言えないけど、内地人のアンタになら言えるさ」と複数の沖縄人から言われたそうです。

 

なぜなら、沖縄人が沖縄人のことを取材して書いた場合、沖縄は狭い島国なので、必ずどこかで親戚や知り合いにつながって、その話が漏れてしまうからです。本人は、本当は誰かに話したかったけれど、話せなかったことがある。そんな話をしたら、知り合いや親戚から「恥ずかしい」とか「なんでそんな話をしたの」と思われるのがわかっている。だから、しがらみのない内地人になら、話をすることができる。

 

私は、それを聞いて「ああ、そうなのか」と思ったんですね。

 

今まで、第二のふるさとである沖縄のことは、沖縄人の目線で書くべきだと、私は思ってきました。それは、私の「原稿を書く」という仕事が始まったのが、沖縄の放送局だったからだと思います。当時は、沖縄のことを取材して、沖縄人のために書いていました。

 

けれど、前述のライターさんのお話を聞いた時に、改めて私は沖縄人ではないことを認識したし、だからこそ「私にしか書けないことがあるかもしれない」と思ったんです。

 

東京に住んでいる今でも、もし沖縄のことを取材するなら、沖縄人の目線に立つことももちろん必須です。けれど、沖縄を第二のふるさとと思っている私が、東京に住んでいるからこそ、気づくことがある。できる表現がある。それを日々、模索している最中です。