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原点はニュースの現場

私はまさか、自分の映像をYouTubeで見られるとは思っていませんでした!

 

だって、私が琉球放送でリポーターをしていた当時は、まだアナログ放送で、インターネットで簡単に動画が見られる時代じゃなかったんですから!

 

今年の2月のことです。沖縄に住んでいる私の友人から、久しぶりにメッセージが届きました。

 

「びんこの琉球放送時代の映像を、昨夜テレビで見た」というのです。

 

私が琉球放送を卒業したのは2006年の春なので、もう13年も前のこと。それなのに、なぜ??

と不思議に思いましたが、その時、ちょうどパソコンを使って仕事をしていたので、早速、YouTubeを検索してみました。琉球放送のチャンネルは、ちゃんと登録してますから。

 

すると、なんと!私がしゃべっている映像が、本当に使われていたんです!残念ながら、もう削除されているので、見ることができないのですが、かろうじてスクリーンショットだけは取っておきました。よかった!

 

スマホから流れる琉球放送時代の自分の声に「ふぇ~!貴重な体験!!」と思ったのでした。あの時、連絡をくれたK氏、どうもありがとう!!

 

ずっと以前に卒業した私の映像が、なぜ登場したのかというと、どうやら「平成最後」に関する企画ニュースの中で、沖縄の旧正月についてまとめたものが作られたようです。それで、私が平成14年(もう17年も前!)に糸満市でリポートをした映像が使われていました。

 

そうそう。沖縄には今でも、旧正月をお祝いする地域があるのですよ。私がリポートしていた当時、特に糸満市は旧正月前になると、まさにお正月の準備で忙しい人たちがたくさん市場に買い物に来ていて、にぎわっていました。

 

でも、この企画ニュースを見たら、今は時代がずい分変わった様子。ちょっと寂しかったな。

 

 

この当時、私は毎日毎日、1日に何本も現場の取材に行き、その日のニュースに間に合うように原稿を書くのが当たり前、という仕事をしていました。

 

だから、移動中も取材のことを考えるのが普通でした。行きは「取材先に何を訊こうかな?」と考え、帰りは「これをどういう原稿にしようかな?」と考えて、会社に着いたら、すぐにパソコンに向かって書いて、原稿を仕上げる。

 

ちなみに、当時はノートパソコンが高価だったので、私は持ってなかったし、デスクトップパソコンも1人に1台の時代ではありませんでした。だから時には、取材帰りのタクシーの中で、原稿の文章を考えてメモしておき、会社に着いたら、それをパソコンで打つだけ、なんてこともしてましたね。

 

今思えば、こういう仕事をしていたから「常に考えることが普通」になったのだと思います。今でも、ボーッとすることが苦手です(笑)。

 

2011年に、東日本大震災の影響を受けて失業して、「私はどうやって食べていけばいいんだろう…」と思った時、私にできることを考えたら、「書くこと」と「しゃべること」だったんです。

 

だから今、ライターやセミナー講師として仕事をしています。

 

書くことも、しゃべることも、すべてニュースの現場で身に付けた技術。琉球放送時代の自分の映像を見て、当時の仕事に、当時お世話になった方々に、改めて感謝したいと思ったのでした。みなさま、本当にありがとうございます!!