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まさかの契約終了!その時の決断

今から13年前、2006年3月末に私は沖縄から東京へ移住しました。4月から、新しい仕事に就くためです。

 

実は、この移住は私が仕方なく下した決断でした。それまでの私は、死ぬまで沖縄に住んでいるものだと思っていましたから。

 

なぜ、東京に出てくることにしたのかというと、当時勤務していたテレビ局の上司から「リポーター契約終了」を告げられてしまったからです。これは当時の私にとって「この先、どうすればいいんだろう…」と思うくらいのピンチでした。

 

幼い頃からアナウンサーになるという夢を抱いていた私にとって、テレビ局で働くというのは、まさに夢を叶えたということです。正社員の局アナではなく、契約リポーターという立場でしたが、2000年から琉球放送報道部のリポーターになりました。大好きな沖縄のテレビ局に勤務できて、毎日が忙しくて楽しくて、あっという間に6年が経っていました。

 

そして、契約終了を告げられたのは、2006年になってからだったと思います。

 

そのまま大好きな沖縄に留まって、フリーランスとして仕事を続けることも考えたし、それもできないことではなかったかもしれません。けれど、実は当時お付き合いしていた彼から別れを告げられたこともあり、おまけに当時、とっくに30代になっていたこともあり、「一生に一度は東京に住んでみよう。ダメなら沖縄に戻ってこよう」と決断したのでした。

 

それから数か月間は、仕事の合間をぬって沖縄と東京を何度か往復。派遣のテレビディレクターという仕事を見つけました。

 

ところが問題は、住むところです。東北の山形で生まれて、大学時代から沖縄に住んでいる私にとって、東京は出張か旅行で行くだけの場所。住んだ経験はありませんでした。だから、まったく東京の土地勘はありません。

 

おまけに、沖縄とは比較にならないくらい、東京は家賃が高い!!!

 

困り果てた私に、東京在住の友人が教えてくれたひとことが決め手となり、なんとか予算内におさまるアパートを見つけることができたのです。

 

それは「JRじゃなくて、私鉄沿線の方が家賃は安いよ」という言葉。

 

東京に住んでいる人には当たり前のことかもしれませんが、前述のように私は、山形で生まれて、沖縄で育っています。山形にはJRと第三セクターの鉄道しかありませんし、沖縄には当時開業して間もなかったモノレールがあるだけ。「私鉄沿線」という概念そのものがなかったのです。

 

今のようにインターネットの不動産情報が便利な時代ではありませんでしたから、「私鉄沿線」という選択肢を教えてくれた友人の情報をもとに、職場に通いやすい駅に降りて、多くの不動産屋さんを訪ね歩きました。そして、ようやく見つけたのが、美しい桜並木のある公園に近い、小さなアパートです。ちょっと駅からは遠いのですが、とにかく、この桜の美しさに魅了されて、この地域に住むことを決めました。

 

そして、毎年、3月下旬から4月上旬には、通勤途中にお花見を楽しんでいます。

 

実は、2006年から約5年間、私にとって「暗黒の時代」といってもいいくらい、ピンチの連続でした。「なんで東京に出てきちゃったんだろう…」と、何度も何度も何度も思いました。

 

けれど、毎年、桜の時期だけは「ここに住んでよかった」と思うことができます。「私鉄沿線」という選択肢を教えてくれた友人には、今でも感謝しています。ありがとう!!