· 

あの日、うれしかったこと。

うれしいことがあると、おいしいものを食べに行きます。

 

その日はうれしいことがあったから、ちょっとおしゃれなスパイスカレーを食べに行きました。カレーを2種盛りにして、色鮮やかな野菜の盛り合わせもトッピング。

 

その日、うれしかったことは、久しぶりに現場へ取材に行けたことです。

 

 

「現場へ取材に行く」なんて、少し前の私なら当たり前のことでした。片道3時間近くかかって現地へ行き、1時間あまりの取材をして、また3時間かけて帰ってくる、なんていうのも普通でした。

 

けれども、コロナ禍になってから、その「当たり前」が当たり前じゃなくなった……。

 

人と直接、対面で会うことが制限され、できるだけ移動もしなくて済むように、オンラインの取材がほとんどになったからです。

 

コロナ対策のために仕方なく始めたオンライン取材は、やってみると案外、便利でした。取材先が遠方でも、交通費はいらないし、移動時間もいらない。

 

だけど、やっぱりオンライン取材は、現場へ行って取材するのとはぜんぜん違います。

 

オンラインは、たいていパソコンの画面越しだから、お互いに見えるのはバストアップの部分だけ。全体の雰囲気がつかみにくい。それに、顔が見えているとはいえ、直接ではなくカメラ越しだから、相手はなんとなく緊張している。

 

現場での取材とオンラインで、なによりも違うと思うのは、相手の「息づかい」がわかりにくいことです。

 

人と直接会うと、特にライターの取材というのは相手の話を聴くことがメインなので、相手の息づかいを無意識に感じています。

 

こちらが投げかけた質問に対して、すぐに答えを返してくれる人もいれば、ちょっと考えてから答える人もいる。いずれにしても「あ、この人は今からしゃべるんだな」というタイミングが、おそらくコンマ何秒くらいの感覚でわかる。たぶん、人間は無意識に、しゃべりだす前に息を吸うからだと思います。だから、そのタイミングで、私は全集中力(「鬼滅」は全集中ですが)を相手に向けるのです。

 

たとえていうなら、物音を感じたウサギの長い耳が、その物音がする方向にピピッと向く感じ。

 

だけど、オンラインでは、その微妙な「息づかい」がわかりにくい。人間が無意識に発する微妙な表現が、オンラインでは読み取れないことを実感する。どんなに顔が見えていても、やっぱりオンラインというのは、デジタルの「0か1か」という記号に置き換えられているんだな、と思います。

 

これから技術が進歩して、オンラインがよりリアルに近づいて、そういう微妙な表現もわかるようになるんだろうか……。

 

 

その日、久しぶりに行った現場は、現場じゃなければ取材ができなかったから。なにしろ、建物の取材だったのです。

 

建物の取材といっても、取材対象となる建物を撮影するのはプロのカメラマン。ライターである私の役割は、建物を建てた人たちにインタビューすることでした。

 

「話を聞くだけなら、オンラインでもいいんじゃないの?」

 

と思う人もいるかもしれません。けれども、建物というのは、取材対象のモノだけがポツンと建っているわけではないのです。周辺の環境を見なければ、なぜその建物がその場所に建ったのかがわかりません。

 

つまり、周辺の環境を見なければ、建物を建てた人にインタビューができません。

 

今、書いていて思ったのですが、オンライン取材がやりにくいのは、相手の息づかいがわかりにくいからだけじゃない。その人が普段いる環境が、オンライン取材ではわかりにくいことも、要因のひとつだと思います。

 

とにもかくにも、久しぶりに現場へ取材に行くことができて、あの日は本当にうれしかった。

 

やっぱり、現場は楽しい。仕事は楽しい。私は、自分が楽しいと思えること、好きだと思えることを仕事にしたのだ。改めて、そう思いました。