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悲しいことを、取材するとき

私はライターなので、書くことだけではなく、取材をするのも仕事です。取材は人から情報を引き出す、その人なりの言葉を引き出すことです。

 

しかし、取材という仕事は、楽しいとかうれしい現場だけに行くわけではありません(中にはそういう取材だけをするライターもいるかもしれませんが)。

 

たとえば、きょうは3月11日で、東日本大震災の発生から11年という日です。当時、私は今のような仕事をしていなかったので、震災の直後を取材することはありませんでした。でも、取材していた人たちの気持ちは少しわかります。

 

というのも、私が取材という仕事をしっかりとできるようになったのは、沖縄のテレビ局だからです。沖縄には、太平洋戦争末期に悲惨な地上戦が行われた沖縄戦の悲しい記憶があります。その沖縄戦が終結したとされる6月23日を「慰霊の日」といって、平和を祈念する式典が開かれ、多くの県民は慰霊碑に祈りをささげます。

 

その慰霊の日の前になると、沖縄のマスコミでは沖縄戦関連の特集が毎年、必ず組まれます。新聞もテレビも。私が勤務していたテレビ局もそうでした。報道部だった私も毎年、戦争体験者にインタビューをしていました。

 

慰霊の日を前にしたあるとき、取材から戻った私は先輩に呼び止められ、編集前の取材映像を見せるようにいわれました。なんだろう?と思って一緒にその映像を見ていると、先輩は「これじゃ、いいインタビューなんかできるわけがない」というようなことを言ったのです。

 

私はなんのことかさっぱりわかりませんでした。「ちゃんと取材してきたのに」と思っていました。でも、その先輩にいわせると、私のインタビューの仕方がぜんぜんダメだったみたいです。

 

なにがダメかというと、取材相手が話すペースに合わせていなかったんですね。戦争体験のような悲しい気持ちをしゃべってもらうには、それなりに時間が必要です。質問をしてから、答えが返ってこなくても、あせらずに待たなくてはなりません。

 

でも、当時の私は「いい言葉を引き出さなきゃ」と勝手にあせって、相手が「深い言葉」を話しはじめるまで、待っていられなかった。それが、編集前の映像を見た先輩にはハッキリわかったようです。

 

それまでの私は、そんなことにまったく気がついていませんでした。だから、相手がしゃべってくれた表面的な「浅い言葉」だけで取材をした気になっていたんです。

 

その先輩の辛辣なアドバイス以来、私は取材時に「答えが返ってこなくとも、少し気長に待つ」ということを覚えました。そして、悲しい出来事があった方にもインタビューができるようになりました。

 

先輩からあの指摘がなかったら、私は今のような仕事は続けていなかったかもしれません。あの時は「なんでよっ!」と思ったけれど、今ではものすごく感謝しているアドバイスです。